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FIBA WORLD CHAMPIONSHIP 2006

ジェリコ・パブリセビッチ氏インタビュー(1)

 ジェリコ・パブリセビッチ前男子日本代表ヘッドコーチが、「ここで何十回も取材を受けた」という都内ホテルのラウンジにて、最後のインタビューに答えてくれました。クロアチアから来日して4年の間に感じたこと、任期を終えた今思うこと…。前コーチの“言葉”をまとめました。
インタビュー 9月15日
取材 北村美夏、渡辺美香/構成 北村美夏


パブリセビッチ氏から見た「日本」
−今、改めて4年間を振り返って、日本の印象を聞かせてください。
 日本に対しての印象はすごく素晴らしい。観光ではなく仕事で来日する外国人の場合、慣れるか慣れないかで日本が好きになるか嫌いになるか分かれます。カルチャーショックを受け、慣れない人は1、2ヶ月もしないうちに辞めて帰ってしまうでしょう。私は、日本は素晴らしい文化と伝統を持った国だと思います。スポーツ的ではなく人間として、多くのことが日本で学べました。それらはヨーロッパの文化ではそこまで気が付かないようなものです。この4年間に日本で経験したことのうち、99%はいい経験です。中には良くなかった経験も当然ありますが、それは仕事に関することであって、日本国とは関係ないことです。私は4年間日本という素晴らしい国の代表チームの監督ができてすごく誇り高く思っています。

−日本のバスケットについては今どう思っていますか?
 日本のバスケットボールはまだまだやらないといけないことがあります。確かに、多くのことは私がここに来てから変わってきています。基本的なボールの持ち方からピボットの正しいやり方、基礎体力、ゲームの中での体の使い方、またもっと上のレベルの技術など色々やってきましたが、言えばきりがありません。そういう意味ではまだいくつかのことが私の後に残っています。私達は現状を知っているからこそ満足しています。次の人がもっと行けることを証明してくれないといけません。高飛びの競技のように、今まで2mのところにハードルを置いていたのであれば、次は2m5を飛び越えないといけません。でも、中には皆が見えることが見えない人もいます。それによって日本のバスケットボールが損をするのは残念なことです。

−日本のHコーチを引き受ける前の日本に対する印象はどんなものだったのでしょうか。
 ヨーロッパの関係者皆に“そんなところに行くな”と言われ、私のエージェントも日本に行くことを私が決めた後何ヶ月も口も聞いてくれませんでした(笑)。でも私はそういう新しい国で挑戦したいという気持ちがあったし、自分がやる仕事を信じています。以前に私が取材やその他で発言したことを見れば、全て自分の信じる通りやってきたことがわかります。それができたのは、長年この仕事をやってきた経験もあるし、何を目指すべきかわかっているからなんです。4年間の中で1つでも間違った判断をしていれば、世界選手権には間に合っていません。もちろん、全部正しい道を進んでも、何人かの選手にとっては年齢的に世界選手権が早すぎたのは間違いありませんが、実際日本には世界選手権に出たメンバー以外はいません。周りの人は他の選手もいると勘違いしていますが。それはまた近いうちに明らかになると思います。


代表チームとの4年間
−4年前、日本がどこからスタートしたのかをもう1度教えて下さい。
 私は何をすべきか最初からわかっていて、それに向かってまっすぐな道を進みました。でも私が日本に来てもらったものは、代表チームと言えるものではありませんでした。チーム全体が(代表として世界と戦うには)身長も技術もなく、フィジカル的に当たりが弱く、練習のきつさに慣れていない選手達で、ポジションもはっきりしていませんでした。忘れたらいけないのは、1年目のヨーロッパ遠征でクロアチアのザクレブという国内で中位レベルのチーム、それもセカンドチームに39点差で負けていました。ボスニア・ヘルツェゴビナのシロキ・ブリイェグというクラブのジュニアチームにも。印象に残っているエピソードを1つ言えば、節(節政貴弘・東芝・34歳)とマイケル(高橋マイケル・トヨタ自動車・32歳)は試合前にそのチームを見て、「この子供達に負けたら引退する」と言ったんですよ。でも2人とも引退してしまわず今もプレーし続けていてすごく良かったと思います(笑)。それがスタートでした。

−それを踏まえ、2年目からはどのようなことに取り組んだのでしょうか。
 最も重要だったのは2年目です。スポーツ界で最も重要なセレクションをやったのは2年目からだからです。その結果、何人かの選手は練習をやる気はありませんでした。考えは人それぞれですが、夏の休み、リーグがない期間に練習をやる気はないし、そんな遠い旅(ヨーロッパ遠征)をする気もないのでしょう。でも厳しい言い方をすれば、私は、ダーク・ノビツキー(ドイツ)やエマニュエル・ジノビリ(アルゼンチン)、パウ・ガソル(スペイン)ら世界の中でもトップスターが代表の活動全てに参加できるのであれば、彼らよりレベルが低く実際世界的に評価されていない選手も全部に参加して何もおかしくないと思います。日本が世界と戦う方法はフィジカル的に努力することのみです。練習するしかない。それ以外のことは世間をごまかす行為でしかありません。この言葉が本当か嘘なのかも近い未来に見えるでしょう。

−そのセレクションの結果、選手のやる気を引き出すよりも、実績はないけれどやる気のある選手達でチームを作っていこうと思ったのはなぜですか。
 誰に実績があるのか聞かせて下さい。どの実績ですか? 98年(世界選手権出場)はもう遠い過去なんです。それに、2000年まではアジアの大会に中東のチームは出たり出なかったりでした。私は思いつきでやっているわけではなく、過去の代表の成績と試合の内容分析を全てやりました。自分の国のために、自分の国で行われる世界選手権に向けて選手のモチベーションをあげないといけない状況なのであれば、もうまずそこから間違っていると思います。代表選手でいることは、プライドに関わる問題です。ヨーロッパの監督が一番大変なのは、皆来たいから断らないといけないところなんです。日本と全く逆の状況ですね。選手本人だけでなくチームからもこの選手も取れ、この選手も取れ…という状況です。私はそこにも驚きました。
 でも勘違いしてほしくないのは、誰か戦力になる選手をそれで見逃したわけではないんです。なぜなら何人かの選手はフィジカル的にいい準備をしない限り、世界の大会でパフォーマンスできないからです。アンゴラを見ましたか。どれだけの能力でしたか? ドイツを見ましたか。身長、速さ。パナマも、成績は良くなかったけれど、クオリティのある選手達が揃っていました。それらのチームと戦うのに、練習をしなかった選手を連れて行っても最初から負けが決まっています。つまり、誰かが来ていないから代表チームが損をしたわけではないんです。私はまずベースを作り、最後の年に必要な戦力になる選手を呼び戻すと言いました。それは折茂と節(節政)だったんです。彼らが必要だと私は判断しました。去年のスーパーリーグで最も良かったポイントガードは五十嵐、次は節でした。それはすごく簡単にわかります。また折茂について言うと、私の彼と経験したこと全てが素晴らしかったです。

−そうして選ばれた選手達とともに、どのようにチーム作りを進めていったのですか?
 チームとは生きているものです。命があるもので、当然選手の成長や、逆に言えば成長しなかったことによって、チームをうまく1つの方向に進めないといけません。例えば、私は1年目に五十嵐があれだけ素晴らしい選手に成長するとは予想できませんでした。4年間トータルで見れば、彼がこの代表チームの1番いい選手でした。それは誰が見ても当たり前にわかると思います。彼のことはアジアの全ての国が尊敬し、注意しています。このように、どの選手がどこまで伸びるかにチームの戦術その他を合わせるしかありません。毎年練習の中身は変わっています。毎日見ない限り、大体似たような感じに見えるかもしれませんが、タッチポイントは毎回違いました。

−選手達は、コーチの練習にどのように応えてくれたと思いますか?
 セレクションの後キリンカップで初優勝し、3年間で2回優勝することができました。昨年カタールで行われたアジア選手権は、前の成績(2003年の6位)より順位を1つ上げることができました。昨年マカオで行われた東アジア競技大会では銀メダルを獲りました。この3年間のうち、中国に数十年ぶりに、それも2回勝つことができました(前出の東アジア競技大会とアジア選手権東アジア予選)。そして世界選手権も、私達の実力以上のプレーができました。ダーク・ノビツキーがいるドイツと10点差のゲームができるとは誰も想像できなかったでしょう。それも1Q以外の3つのQは日本が勝っているのです。とても強いチームであるパナマに20点差で勝てるとも誰も想像できなかったと思うし、アンゴラ戦はわかっている人にとっては想定内の試合です。そしてこの大会までは世界で4位と認められていた国(2002年世界選手権4位)・ニュージーランドにも、最後はちょっと運が悪かったけれど勝利までもう少しでした。日本の代表史
上でも最も良かった数試合なのは間違いありません。広島で聞いた話では、日本が世界選手権の予選ラウンドで勝つのは43年ぶりだそうですね。若く才能のある選手が育ち、健康ないいチームになってくれました。それ以上は4年間では無理だったと思います。1つの意見として、私の練習のやり方と強度に納得しない人もいますが、逆に言うと世界のほぼ全ての代表が私と同じ基準で選手を選び、同じ基準で練習をやらせています。だからその基準は一歩も引けませんでした。ここまでこのチームができたのも、その基準を大切にしたからこそなんです。基準を緩めていたらもうずっと前から台無しになっていました。

−世界選手権でベスト16に入ることはできませんでしたが、成し遂げたことがたくさんありますね。
 1年目の記者会見で言いましたが、当時の目標は世界と戦えること、ベスト16を狙うことでした。最近言われているベスト8の話は真っ赤な嘘で、くだらないくらいです。世界の、アメリカ以外のどの代表でもベスト8に入るとは言い切れないのですから。今回、ブラジルやプエルトリコでさえベスト16に入れませんでした。そういった中で、様々な準備をしてここまでできたことは本当に選手達と現場スタッフのおかげで、彼らは満足するべきだと思います。皆一生懸命やりましたし、日本の歴史に残るようなことをいくつかやりました。私はこのチームに対してすごくプライドを持っています。将来的にこのチームを超えるチームが現れたら嬉しいですが、厳しいと思います。

その2 に続く
(その3は こちら)


2006年10月24日
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