これからが本当の闘い 真中哲也
その日、「埼玉スタジアム2002」では、浦和レッドダイヤモンズが歓喜のリーグ戦初優勝を成し遂げていた。トレーニングをさせてもらっている、北浦和駅西口近くのボクシングクラブと反対の東口側には、レッズスクエアという試合のときに観戦スポットにもなるファン憩いの場がある。昔からの友人たちも浦和レッズファンクラブに入っていて、地元さいたまで行なわれる試合には、必ずといっていいほどスタジアムへ足を運び声援を送っている。しかし、私はその日、12月2日。土曜日。後楽園ホールで行なわれた、ボクシングの一試合を最も楽しみにしていた。地下鉄丸の内線・後楽園駅から陸橋を渡り、東京ドーム脇の緩やかなカーブがかかっている通路を歩き、後楽園ホールがある青いビルに入っていった。途中、大きな人の流れができており、それはドームで行なわれる「K−1 ファイナル2006」を観戦する人たちだった。そのファイトに負けないくらい、いやそれ以上の試合が観られるはずだと思いながら、ビルのエレベーターに乗り、5階のホールへ向かった。
お目当ての試合は第2試合に組まれており、試合開始は土曜日とあってか、5時45分だった。第1試合が始まる少し前にホールに着いた。チケットを受付に置いておく、と言った会長に挨拶に行こうとしたら、地下の控室入口のところで、セコンドにつく東悟さんと宮城トレーナーにばったりと会い、第2試合からセミファイナルに変更したことを教えてもらった。
控室で会長に挨拶をして、チケットのお礼を言った。東さんと握手をして控室を出た。階段を上りながら、つくづく思った。東悟というボクサーのことを。あの人こそ、選ばれなければならなかった男だったのではないか・・・・・・。
鮮烈的なノックアウトで幕を閉じた第4試合が終了して、待っていた第5試合目、セミファイナル・8回戦を迎えた。第1試合が4回戦でメインエベントであった日本ミドル級タイトルマッチ以外は、全て8回戦が組まれていた。この日来た観客は、この試合こそが、一番のカードだと思っていた人は多かったのではないだろうか。互いが危険な相手と承知して組んだカードだったと思う。しかし、安易に相手を選ばず、このような形で、試合を組むことこそが必要なのではないか。
青コーナー側から、沖縄ワールドリングジム所属・9戦全勝、ボクシング界の新たな星の一人といっていい、中真光石が入場する。後には、父親でもある中真会長、東さん、宮城トレーナーたちが続く。次に赤コーナー側からKO率9割、現在6連続KO中の新日本徳山ジム所属、日本フェザー級4位・青空西田が、「一本道」という曲で入場する。それを聴いたとき、私は少し驚いた。その「神様からいただいたこの一生好うきに生きて誰にも文句は言わせない-------」で始まるその曲は、かつて沖縄ワールドリングジムに所属し、元日本フェザー級チャンピオンであり、日本人初の兄弟世界チャンピオンを追い求め続けた平仲信敏が、好きな曲で自身ラストファイトの入場の際に使ったからだ。
1Rから「ジャッチメント・オブ・ディスタンス」といわれる真髄を探るかのごとく、互いが距離を測るかのように、左の速いジャッブを放っていく。両者とも身体の動きも足の動きも速い。どちらかのペースになるのを防ぐかのようなピリピリとした攻防が繰り返される。中真は伸びのある左ジャッブ、力強い右のストレート、巻き込むような左フックと積極的に打って出る。打ち合いも辞さない構えだった。青空も右ストレート、左フックを強振する。タイミングがまだ合っていないのか、打ち終わりに自らのパンチの軌道を振り返るかのような仕草をする。距離をしっかりと把握して、タイミングのいいパンチを繰り出すそんな選手にみえた。
2Rも互いが、素早いフットワークを使いながら左を突きあう。中真のパンチは的確に相手をとらえつつあるようだった。そんな矢先、青空をロープ際につめて攻め込もうとした瞬間、青空のカウンターの右ストレートがまともに顔面を打ち抜いた。絶妙のカウンターだった。仰向けに倒れた中真は、立ち上がろうと首を持ち上げたが、2R−2分21秒・カウントアウトで初めての敗戦を喫した。
結果的にノックアウト負けを喫したが、力量は決して劣っていなかった、と思う。では何故、敗れたのかと問われれば「それがボクシング。それもボクシング」だとしか言えない。
この試合には、両者とも危険を分かち合った。であろうという空気が流れていた。
敗れたときにいう言葉は、原因や理由といったものがあったとしても、現役のときは何の意味もないかもしれない。
まだ、できるはずだから。こんなものじゃない。と、いうことをこれからの道程で証明してもらいたい。
沖縄ワールドリングジムには、直接の面識はないが、他のジムが羨ましく思うほどの選手たちが揃っている。地方ジムでこれほどの選手たちを抱えるところは、おそらくないであろう。
潤沢な資金があるわけではないから、自ら主導してのマッチメイクはなかなかできないかもしれない。それでも己たちの実力で来年、沖縄ワールドリングの選手たちは、日本ボクシング界に風を、大きな旋風を巻き起こすことになるはず。本当の闘いは今、はじまったばかり。
| 真中哲也(まなか てつや) 1965年東京生まれの埼玉育ち。19才の時、プロボクサーに。21才時に日本タイトル挑戦(敗れる)後、2試合(1勝1分)おこない、怪我のため引退。北浦和にある、ボクシングクラブで週1回ほどの頻度でおこなう練習が最大級の楽しみ。第4回スポーツライター新人賞受賞。今回は「何を信じ、いかに過ごすか」をテーマにコラムに挑戦。 |
TOP